AIで画像生成ができる時代に、趣味で写真を撮る理由

みなさんおはようございます。オットログです。
自分の考えとかはnoteに書いていこうかな。と思っていたワタクシですが、ブログに書いた方が後で自分が見返しやすいじゃん!って気が付きました。
ってことで、これから日常の考えていることや、僕の仕事に対する考え方などもこっちのブログに書いていこうと思います。

今回のテーマはこちら。
「AIで画像生成ができる時代に、趣味で写真を撮る理由」
についてです。


前提として、僕は生成AIに対して賛成派でも反対派でもありません。
楽しく使える範囲なら楽しんでいいんじゃない?くらいの感想の持ち主です。

それと、あくまで写真は趣味で楽しんでいます。仕事の一環とか、写真で生活をしているとか、そういった本格的なものではなく。
本当に趣味で写真を撮って、それをブログに載せて思い出を綴ったり、奥さんとふたりで見返したり、誰かのためじゃなく、自分たちのために写真を撮っている人間です。

そんな僕が、なんで今回のようなことを考えたか。

それはやはり、最近のAIの進化が目覚ましいから、です。
文章(プロンプト)を入力するだけ、行ったことない、見たことも場所の風景だって生成ができてしまう。もっと言えば、存在しない風景までも生成ができてしまう世の中です。
人物の写真があれば、AI編集して簡単に旅行写真みたいなものを作れてしまう。それも、国境も時代も越え、なんなら異次元の世界だって。

いやー、すごい世の中になったよね。

僕が子どもの頃なんて、携帯電話なんて持っている人が少数。
それが今では小さなパソコンとも言えるスマホをみんなが持っているんだもんね。

その性能もどんどん上がって、誰もがAIを簡単に使えることができる。
こんな世の中になるなんて、誰が想像できたんだろうね。

AIで大抵のことはできてしまう世の中なんですよね。
語弊があるかもだけど、大抵のクリエイト活動ができてしまう。
写真を撮ったり、絵を描いたり、音楽を作ったり、ブログだってAIで書くことができちゃう。・・・本当に何でもAIでできちゃう世の中。



タイトルには写真を撮る理由。なんて書いたけど、今から僕が書くことってどんな趣味に通ずるものがあると思うんだよね。それはAIの力では現在は体感できないもの。
今後、できるようになってしまうかもしれないけど、それはきっと今とは違った感覚なんだろうな。

それが何かっていうと、「過程」だと思うのですよ。

写真で言えば、この景色を撮りたいと感じた瞬間や、ライティングや構図を考えたりする瞬間。思い出を写真に残したいって動機や、上手く撮るために色々な人の写真を見たり、雑誌を見て撮り方を勉強したり、カメラやレンズのことで悩んだり。
そういった「過程」はAIでは作り出すことができませんよね。自分が体験するから得られるものだと思っています。
もちろん、AIで作品を作る上で踏む過程もあるよね。一回の出力で望み通りの作品ができることなんて稀だろうし。ただ、その過程と自分で作品を作る上での過程はちょっと違う気がするんだよね。

これって、AIを否定しているわけではありません。
AIにはAIの良いところがもちろんあって、コスパやタイパなんてものは抜群。
なんだけど、趣味にコスパやタイパを求めるのはそもそも違うかなって。僕はそう思うんだよね。
悩んで、苦労して、また悩んで。時には挫折したり、嫉妬したり。
そんなネガティブな過程を経て作品を完成させる。これが趣味の醍醐味じゃないかな。

そういう意味で言うと、仕事での達成感にも似たようなものがあるかもね。


ネガティブな感情を経て吐き出される作品って、写真に限ったことじゃなくて、絵を描くこと、音楽を作ること・奏でること、何かモノを作ること、文章を綴ること。
こういう、所謂クリエイト活動においては必ずあると思うんだよね。

これからも、僕はアレコレ考えて、失敗して、他の人と比べちゃったりもして、それでもシャッターを切る。
なんでもできちゃうAIだけど、趣味を楽しむ「過程」の楽しさって言うのは、作り出せないと思うんだよね。

それが、AIで画像生成が簡単にできちゃう世の中だけど、僕が趣味で写真を続ける理由。
趣味なんだから、コスパやタイパが悪くても楽しめる道を選びたい。

みなさんはどうなんだろう。
趣味で続けているものを、楽してまで続けたいんだろうか。

人それぞれ考え方があって良いと思う。それが技術を発展させるきっかけになるしね。
世の中、どんどん進んでいて面白いね。

それでは、また。


関連記事