SNSを見ていると、写真に統一感が〜って言葉を良く目にするんだよね。色味や光の当て方、構図とか主題副題とか。色んな要素を統一することで、見た目美しいフィードを作る。そんな考え方なんだと思う。
写真の「統一感」に縛られていた日々
実際に僕も一時期、この「統一感」に拘っていました。SNSに載せる写真はそんなにだけど、奥さんとの日常や散歩の様子を綴るこのブログに関しては、割と色味について拘っていました。
と言うのも、同じ記事の中はほぼ必ず同じフィルムシミュレーションで同じ設定で撮る。という謎の縛りルール。
「記事ごとに統一感を持たせることが、洗練された印象になるはずだ!」
な〜んて思いで、撮影中はフィルムシミュレーションダイヤルに触れないようにしていたんだよね。でもそれって、今思うと少し窮屈だし、せっかくのX-T50の機能を上手く使えていないだけだったんだよね。
奥さんを見て気がついたこと
そんな思いを悶々としていたんだけど、奥さんが撮影している様子を見てハッとしたことがある。それは、奥さんは気分によってフィルムシミュレーションを次々と変えながら、とても楽しそうに写真を撮るんだよね。
すごく当たり前のことかもなんだけど、その姿は僕にはなんだか輝いて見えて。
奥さんは、今どのフィルムシミュレーションで撮っているかも気にしない時があるし、なんならフィルムシミュレーションの名前だって覚えていない。
だって大切なのは、ファインダー越しに、液晶越しに見える景色がどんな風に、どんな色味で写っているか。そこにどのフィルムで。ましてやフィルムの名称なんてものは関係ないんだよね。
奥さんの姿を見て、「あぁ本来は写真ってこうやって楽しむもんだよな〜。散歩や日常の写真を撮るなら尚更。」と、やっと気づくことができました。
僕たちが使っているカメラはFUJIFILMのX-T50。このカメラの魅力は、なんと言ってもフィルムシミュレーションダイヤルで気軽に設定を変えられること。その特徴を活かせずに、自分で作ったルールに縛られていたことが、どれだけもったいないことだったか。
X-T50をお揃いで買おう。って決めたのも、このフィルムシミュレーションダイヤルが決め手だったはずなのに。僕はいつもすぐに道に迷ってしまう。
「正しい撮り方」より大切なもの
実は、今までの僕は頭な中でこんな思いが巡っていました。
「この設定間違えてるかも。」「別のフィルムシミュレーションの方が良かったかも。」「白飛びしてる。」「もっとうまく撮れるはずなのに!」
後悔や自己批判ばかりで、目の前の風景や瞬間を純粋に楽しめていなかったのかも。それって、カメラを持つ本来の喜びから遠ざかっていたのかな〜。
カメラはツールであって、目的じゃないんだよね。
写真を撮ることの本質って、その瞬間を切り取って、感情や記憶を残すことにあるはず。特に奥さんと過ごす日常という大切な時間を記録するなら、尚更そうだと思うんだよね。
新しい撮影スタイルと見えてきた景色
今は統一感にこだわらず、気分や被写体に合わせて自由にフィルムシミュレーションを変えています。
結果として、ブログやSNSへの投稿写真には以前のような統一感はなくなっちゃいました。でも、その代わりに得たものは大きいんだよね。
撮影自体が楽しくなったし、カメラとの関係も前より深まった気がする。完璧な設定を求めるより、「今この瞬間をどう感じているか」を大切にした撮影スタイルに変わりつつあるんだよね〜。
技術的な完璧さよりも、温かさや生き生きとした感情が写真に宿ることの方が、奥さんとの日常を残していくブログとしては価値があるんじゃないかな〜。
「統一感の中の多様性」という、新しい視点
今考えているのは、「このブログならではの多様性の中の統一感」という新しい視点。
例えば季節ごとに異なるフィルムシミュレーションを使ってみたり、同じ場所を違うフィルムシミュレーションで撮り比べてみたり。
その日の散歩の雰囲気がより伝わるような、そんな写真の撮り方を模索中なんだよね〜。
何より大切なのは、カメラと写真撮影を心から楽しむこと。奥さんのように自由な発想で撮ることで、新しい発見や表現に出会えることが、今は一番の喜びになっている。
この記事を読んでくれたあなたも、何か自分で作ったルールに縛られていることはありませんか?
時には立ち止まって、本当に大切なことは何かを考えてみるのも良いかもしれませんね。
そんな僕の心の旅路。